消えゆく昭和の建物としては、三宅坂の国立劇場、神田駿河台の山の上ホテル、丸の内の帝劇ビル・国際ビル、有楽町ビル、浜松町の世界貿易センター・ビルなど、例をあげればキリがありません。とりわけ1950~60年代のモダニズムを感じさせる丸の内のビル群は、子供時分の憧れでもあったので、残念だと思います。惜しまれつつ消えてゆく飲食店も多くあり、特に馴染みの店の閉店は寂しいものです。渋谷・宮益坂の人気店”澤乃井”が”コロナに負けた”という張り紙をして閉店した時はショックでした。東京で宮崎うどんが食べられる貴重な店でした。それでも、まだ江戸川橋の”はつとみ”があると思ったものですが、それも閉店しました。現役サラリーマン時代、よく通った丸の内の”伊勢廣帝劇店”、”万世麺店有楽町店”、”福津留”なども消えました。
伊勢廣帝劇店の焼鳥お重は、丸の内を代表する絶品ランチでした。建替えた京橋の本店は繁昌していますが、帝劇店の味とは微妙に異なります。昔、帝劇店で、なぜ伊勢廣の焼鳥は美味いのかと聞くと、鶏肉が新鮮だからと言っていました。それだけなら他の店も同じ味になるはずです。焼鳥は、焼き方と塩加減の加減で味が変わります。焼き手が変われば、本店と異なる味にもなるのでしょう。万世の排骨ラーメンは、少なくとも千杯以上は食べたと思います。万世麺店は、万世橋の本店もなくなりました。コクのあるスープは同じでも、有楽町店は本店や新宿店よりも美味しかったと思います。鶏肉とたまねぎを辛く煮た”南蛮”という唯一無二のメニューで知られた福津留も、二度ほどオーナーが代り、味も多少変化しましたが、それでも丸の内名物であり続けました。
大相撲夏場所の四日目、五日目を観戦しました。櫓のはね太鼓に送られながら国技館を後にすると、まっすぐ”ちゃんこ巴潟”に向かうのがルーティンになっています。場所中は、2ヶ月前に予約しないと入れないほどの人気店です。巴潟の国見鍋と呼ばれる塩ちゃんこは、明らかに東京で一番です。その絶妙な味は、まさに唯一無二。ところが、この夏場所千秋楽をもって閉店することになりました。店に入ると、ちょうど女将さんがいました。言葉を探しつつ口を開こうとした矢先、女将さんが深々と頭を下げて、ご贔屓いただいたのに本当にすみません、と先に謝るのです。これまでの礼を言って、労をねぎらうべきだったのでしょうが、実に残念だとしか言えませんでした。従業員の方々とも、多少、言葉を交わしましたが、皆、突然のことで驚いたとのことでした。
両国一の人気を誇ったちゃんこ店の突然の閉店ゆえ驚きました。なんとかならなかったのか、と悔やまれます。東京の食文化にとっても、大きな痛手になったと思います。おりしも相撲の人気が盛り返し、チケットもとりにくくなっているだけに、実に残念なことです。あくまでも噂ですが、ビルの建替えと後継者問題があって、廃業を決めたようです。人気店とは言え、多額の借財を抱えて代替わりすることは、なかなかにハードルが高いのでしょう。仲間たちに、これから観戦後のちゃんこはどうするんだ、と聞かれました。他にも人気店はありますが、おいそれとは決められないように思います。 はね太鼓 昭和は遠くなりにけり (写真出典:tomoegata.com)