2025年4月9日水曜日

「ドマーニ」

 監督:パオラ・コルテッレージ     2023年イタリア

☆☆☆☆ー

イタリアで歴史的大ヒットを記録したというコメディです。第二次大戦直後のローマを舞台に、パラサイト的半地下に住む家族の家父長制、男尊女卑、家庭内暴力がモノクロームで描かれます。娘の結婚を巡るドタバタのなかで、主人公の主婦が明日への希望を見出してゆくというストーリーです。社会派コメディの笑いのツボは、なかなか外国人には分かりにいものですが、結構、笑えました。まるで昭和のコメディですが、人間国宝クラスの師匠が語る古典落語といった風情もありました。監督・脚本・主演のパオラ・コルテッレージは、イタリアで最も人気のある女優・コメディアン・歌手であり、本作が初監督作品となります。コメディアンとしては、有名人のものまねが得意と聞きますから、センスのいい人なのだろうと想像できます。

第一次大戦では戦勝国となったイタリアですが、戦後は深刻な不況と回復できない領土問題を抱えます。そうした社会不安を背景に、ムッソリーニ率いるファシスタ党が躍進し、独裁政権が誕生します。日独伊三国同盟が結ばれ、イタリアは枢軸国として第二次大戦に突入しますが、国力が不十分だったイタリアの軍事力には限界があり、次第にナチス・ドイツの支援に依存するようになります。戦況に不安を覚えた反対派によってムッソリーニは逮捕されます。ナチスは、ムッソリーニを奪還し、連合国側にまわったイタリアに侵攻します。1944年6月、連合国はローマを開放し、イタリアは戦勝国として第二次大戦を終えます。戦後は、アメリカ軍が駐留し、治安維持にあたりました。

映画は、まさにその時代を背景としており、ローマ市内の米軍の検問所も登場しています。庶民の生活は苦しく、物不足も深刻であり、戦勝国と言いながらも、その光景は日本の敗戦直後に重なるものがあります。家父長制や男尊女卑、あるいは家庭内暴力についても、その状況は、イタリアも日本も似たようなものだったのでしょう。女性参政権が実現したのも、ともに1946年となっています。本作では、男尊女卑の光景を、白黒の画面でコミカルに描き、暴力シーンはミュージカル風に仕立てるなど笑える工夫がされています。映画が大ヒットした大きな要因がここにあると思います。つまり、男尊女卑など過去のことだよね、と笑い飛ばしながらも、女性の地位向上は女性自身が勝ち取ってきたんだよね、と語っているわけです。

そして、それは完全に終わった過去の話とも言い切れず、女性は引き続きがんばるべきだとも訴えているように思います。その監督の思いは、オープニンとクロージングに流れる現代的な楽曲にも現れています。シャンタル・アケルマンの「ジャンヌ・ディエルマン・・・」(1975)を頂点に、多くの優れたフェミニズム映画が撮られてきましたが、本作のアプローチは画期的だと思います。従来、フェミニズム映画の多くは、挑戦的でラディカルなアプローチを採ってきました。それはそれで当然のことだと思います。しかし、本作はノスタルジックなコメディの体裁をもってフェミニズムとエンターテイメントを融合させ、より広く、より効果的にフェミニズムを訴求できていると思います。ラストのオチなど見事に本作の性格を明らかにしています。

イタリア語の会話は、その小気味よいテンポが実に魅力的で、たまに聞きたくなるほどです。本作でも、その魅力が存分に発揮されています。我々では理解できませんが、恐らく本作はローマの下町言葉が使われており、一層小気味よいものになっているのでしょう。主人公と米兵とのコミカルなやりとりなど、それだけで立派な一幕として成立しているように思えます。パオラ・コルテッレージ監督のコメディアンとしてのセンスが十分に活かされてと言えるのでしょう。古典落語を聞いているようだったと書きましたが、思えばローマっ子のイタリア話と、江戸っ子のべらんめえ調は、相通じるところがあるようにも思います。いや、それどころか、世界中の下町言葉は、おしなべて歯切れがよく、よく似ているものかもしれません。(写真出典:eiga.com)

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