”Got My Mojo Working”は、プレストン・レッド・フォスターが作曲しています。彼は、この曲以外の活動がほとんど知られていません。フォスターは、この曲をバトン・レコードに持ち込み、1956年にはアン・コールによって録音されています。この頃、アン・コールは、マディ・ウォ-ターズのツアーで前座を務めており、この曲も歌っていたようです。これを気に入ったマディ・ウォーターズが、1957年、シカゴで録音し、大ヒットにつながります。しかし、マディ・ウォーターズの曲にMojoという言葉が登場するのは、これが初めてではありません。1954年にヒットした”Hoochie Coochie Man”も呪術と性的魅力を自慢する内容であり、お守りとしてのMojoが登場します。
ミシシッピ・デルタを歌おうとすれば、Mojo的なものは避けて通れない、なぜなら黒人たちが信じていた唯一のものだからだ、とマディ・ウォーターズは語っています。Mojoバッグは、もともと中部および西アフリカで、グリグリ、あるいはジュジュなどと呼ばれており、奴隷貿易とともにアメリカに伝えられました。袋の中には、鳥の羽、動物の骨、木の根っこ、ハーブ等が入っており、魔除けとして使われました。20世紀初頭、アメリカ南部の黒人たちは、北部工業地帯へと大移動を始めます。害虫被害やミシシッピ川の大洪水を受け綿花を摘む仕事が失われたこと、第一次大戦の影響で欧州移民の流入が止まり北部の工場が人手不足に陥ったこと、そして南部の差別から逃げたいという黒人たちの思いが大移動の背景にありました。
大移動に伴い、黒人を取り巻く環境は激変するわけですが、文化面でも大きな変化が起こります。その一つとされるのがブルースの変化であり、泥臭いデルタ・ブルースは都会的に洗練されたシカゴ・ブルースへと変わっていきます。その動きを先導したのが、マディ・ウォーターズであり、シカゴ・ブルースの父とも呼ばれます。黒人の都市化とともに、ブードゥーの文化も失われていくことになります。その過程において、雇用主から身を守ることが主だったMojoバッグの意味が失われ、より下世話な性的能力を高めることへと変わった、あるいはそれだけが残ったものと思われます。都会化されたとは言え、依然、デルタ・ブルースを基礎としていたブルース・ミュージシャンの間で、その変化が一般化したことは十分に理解できます。
つまり、Mojoの意味の変化とマディ・ウォーターズの新しいブルースは、ともに大移動とその結果生まれた文化的変化を象徴しており、表裏一体を成しているとも言えるのでしょう。都市に流入した黒人たちにとって、辛い過去とは言え、南部は故郷であり、Mojoは郷愁にもつながる言葉だったのではないでしょうか。そういう意味では、ブラジル音楽のエッセンスと言われる”サウダージ”に似ている面もあるように思います。もちろん、両者は大いに異なりますが、遠いアフリカの記憶にもつながるという点において興味深いものがあります。ちなみに、ローリング・ストーンズというバンド名がマディ・ウォーターズの”Rollin' Stone”(1950)に由来することはよく知られています。この曲は、生まれながらの女好きの歌です。(写真出典:amazon.co.jp)