2024年2月16日金曜日

おかげ横丁

私が、アメリカで最も好きな町は、コネチカット州のミスティックです。ミスティック・リヴァー河口に広がる町は、美しい景観、そして捕鯨や造船の歴史で知られます。ミスティックの楽しみの一つは「オールド・ミスティック・ヴィレッジ」です。敷地内に点在する開拓時代風の小屋の一つひとつが店舗というショッピング・モールです。1990年前後のアメリカは、大型ショッピング・モール全盛の時代でした。ショッピング・モールは、買い物をするための施設ですが、当時は、行く事が目的化し、まるでテーマ・パークに近いものがありました。巨大になるほど多くの人でごった返していたものです。広大な駐車場のなかに立つ巨大なショッピング・モールは、あたかも城塞都市のようでした。

そこへ行くと、オールド・ミスティック・ヴィレッジは、植民地時代の村に入り込んだような感覚を持たせる風情あふれるショッピング・モールでした。店舗も、衣料品だけでなく、土産物店やマニアックな趣味の店等もありました。いわば観光ショッピング・モールといったところです。伊勢神宮前のおかげ横丁を初めて訪れた際には、日本版オールド・ミスティック・ヴィレッジだと思いました。おかげ横丁は、1993年、内宮前のおはらい町の中心部に作られました。江戸末期から明治はじめ頃の門前町を再現しています。江戸期のお陰参りブームに始まり、明治政府の天皇を中心とした国家作りの影響もあり、お伊勢さんは、常に多くの参拝客を集めてきました。

お伊勢さんへの参拝客は、多少の変動はあるにしても、年間600万人をキープしており、式年遷宮の年、翌年のお陰年には800万人を超えています。それにつれ門前のおはらい町も賑わってきたわけですが、高度成長期を過ぎると、売上は激減します。時代は、国内での団体旅行ブームが終わりを告げ、人々の目が海外に向かい始めていた頃です。参拝客、旅行者の意識が変わったということなのでしょう。お伊勢さんの人気にあぐらをかいた商売の弊害が出始めたと言うこともできると思います。おはらい町では、老舗中の老舗である赤福を中心に打開策が検討されます。そして、赤福は、当時の年間売上に匹敵する140億円を投じて、おかげ横丁を建設します。

結果、おかげ横丁は、来場者数が10年で10倍に増えるという大成功を収めます。おかげ横丁で感心することの一つは、店舗のバラエティの広さです。お決まりの饅頭やキーホルダーを並べるありきたりな土産物屋が何十軒集まっても、おかげ横丁の成功はなかったと思います。おかげ横丁では、一つひとつの店舗が特徴のある専門店として運営されています。ここが他の門前町と大きく異なる点です。顧客ニーズの変化を確実に捉えたプロデュースであり、赤福という、ほぼ単一のデベロッパーだからこそ成しえたことなのでしょう。赤福は、単におはらい町の賑わい再生を狙ったのではなく、特色ある新しいショッピング・モールを目指したのだと思います。おかげ横丁は、間違いなく、日本一成功したショッピング・モールです。

全国の名だたる神社仏閣の門前町の状況も、かつてのおはらい町と同じなのでしょう。さすがに近年は、昔ながらの土産物屋だけではなく、おしゃれな店も見かけるようにはなっています。ただ、あくまでも個別の店舗ベースの話です。零細な土産物屋の集まりでは、おかげ横丁のような大規模開発は、望むべくもありません。創業400年という赤福の財力と判断が、いかに大きかったかということです。おかげ横丁の成功を好事例として、大規模再開発に取り組む観光地も出てきました。しかし、おかげ横丁を超える、あるいは匹敵する事例はないように思います。例えば、彦根城前の夢京橋キャッスルロードなどは良い取り組みだと思いますが、おかげ横丁の賑わいにはほど遠い状況にあります。(写真出典:okageyokocho.com)

「新世紀ロマンティクス」