2023年5月3日水曜日

氷菓

アイスクリームは好きですが、年に数回食べるという程度です。それもレストランの食後のデザートとして食べることがほとんどです。いわゆる”口直し”というわけです。ソフトクリームも好きですが、それとて機会があれば年に1~2回食べる程度でしょうか。かき氷に至っては、数年前、家族で台北へ行った際に食べたきりです。要は、美味しいとは思っても、冷たい食べ物が苦手なわけです。歯の調子が悪かったことにも関係していると思われます。氷菓と言えば、アイスクリーム、ソフトクリーム、アイスキャンデー、ジェラート、シャーベット、フラッペ、かき氷等が思い浮かびます。冷蔵・冷凍技術の進化とともに、裾野を広げてきたわけですが、最も原始的な氷菓はかき氷なのだと思います。

かき氷、あるいはシャーベットやソルベは、古くから世界各地で食べられていたようです。古代エジプト、古代ペルシア、あるいは古代中国にも記録が残ります。古代ローマでは、アルプスの氷を削り取り、夏に食べていたとされます。マルコ・ポーロが中国から持ち込んだ食文化という説もあります。ただ、パスタがそうであるように、東方見聞録のはるか以前から欧州に存在していたわけです。そもそもシャーベットの語源はアラビア語であり、欧州には中東から伝播したのかも知れません。日本でも、清少納言の「枕草子」に”あてなるもの(良いもの)”として登場しています。まさに世界各地で古くから食べられていたわけですが、いずれも支配階層しか食べられない貴重品でした。

大衆の口に氷菓が入るようになったのは近世以降ということになります。16世紀初頭、イタリアのパドヴァで、水に硝石を加えて水温を下げる技法が発見されます。自然の雪や氷を使わずに氷菓を作ることが可能になったわけです。ミルクに空気を含ませてクリーム状にし、それを凍らせて作るアイスクリームが登場したのは、16世紀のフィレンツェと言われます。カテリーナ・ド・メディチが、フランスのアンリ2世に嫁いだ際、職人を伴い持ち込んだという話は有名です。ただ、これは証跡に乏しい面があり、最近では、パリに現存するカフェ「ル・プロコープ」が、18世紀初頭、ホイップ・クリームを凍らせて作ったのがアイスクリームの始まりとされているようです。

アイスクリームの大衆化を一気に進めたのは産業革命だと言えます。その製法からして、工場生産に向いていたわけです。世界で最もアイスクリームを愛する国の一つは、世界最大級の工業国であり酪農国であるアメリカだと思います。各家庭の大きな冷蔵庫には、大型容器入りのアイスクリームが必ず入っています。TVを見ながら、アイスクリームの大きな箱を抱え、大きなスプーンで直接食べる姿は、アメリカ人の典型でもあります。19世紀半ば、ボルチモアの牛乳屋が、余ったミルクを活用するために、アイスクリーム工場を作ります。その後、禁酒法の時代を迎えると、アイスクリーム工場は一気に拡大し、国民食の地位を獲得することになりました。アメリカ人の体は、ステーキとアイスクリームで作られています。

日本のアイスクリーム事始めは、明治2年、遣米使節団の一員だった町田房蔵が馬車道に開いた氷水店の「あいすくりん」です。一盛りの価格は金二分、現在価値にして8,000円程度でした。工場生産は、大正9年、深川の富士食品(現冨士森永乳業)が始めています。日本のアイスクリーム市場は、バブル崩壊から2003年まで一時減少し、それ以降は拡大を続けています。商品別には、森永の「チョコモナカジャンボ」がトップを維持しているようです。手を汚すことなく持って食べられる気軽さに加え、最中の内側をチョコでコーティングし、かつ厳密な出庫管理を行うことで得られるパリパリ感が人気なのだそうです。私のイチオシは、ハーゲンダッツ・ミニカップのグリーンティーです。おやつではなく、食後のデザートには最適なアイスクリームだと思っています。(写真出典:haagen-dazs.co.jp)

「新世紀ロマンティクス」