2023年3月26日日曜日

いけず石

バルセロナは、碁盤の目のように区画された町並みで有名です。各ブロックは、同じ広さの正方形になっており、同じ高さの建物が道路沿いの四方に並び、中央部は開けた空間になっています。日当たりと風通しを考慮した設計になっているわけです。バルセロナは古い街ですが、大きな街ではありませんでした。産業革命とともに、木綿の製造が盛んになり、大量の労働者が流入します。そこで、19世紀中葉、労働者の住宅確保のために大拡張計画が実行され、現在の町並みが出来あがっています。正確に言えば、各ブロックは、正方形ではなく、角が削られた八角形になっています。何故、そうなっているのか聞くと、馬車が四つ角を曲がりやすくしたからなのだそうです。 その話は、京都の”いけず石”を思い出させました。

京都も、碁盤の目に区画整理された計画都市ですが、住宅街の四つ角に大きな石が置かれているのを見ることがあります。はじめは、鬼門除けなのかと思いました。京都の古い建物の塀は、鬼門除けとして北東の角が凹ませてあります。ただ、石は、必ずしも鬼門に置かれているばかりではありませんでした。聞けば、この石は車除けだと言うのです。つまり京都の狭い路地では、車が角を曲がる際に、家屋や塀にぶつかることがままあり、その対策として置かれているというのです。車を運転する側から言えば、気になる邪魔な石です。ということは、運転も慎重になりますから、衝突対策としての効果はあるのでしょう。邪魔になることから、意地悪な石、つまり”いけず石”と呼ばれているのだそうです。

京都の人は、いけずだと言われます。訪問先で「ぶぶ漬け、どうどす?」と聞かれたら、「早く帰れ」という意味だとされます。落語には、「えらいすんまへんなあ」と言って、本当にぶぶ漬けを食べた大阪人が、思いっきり嫌がられるという噺もあります。また、早く帰って欲しい時には、客の手が届かないところにお茶を置く、という話も有名です。京都人に言わせると、これらは、相手を気遣って、直接的な表現を避ける京の文化なのだそうです。ただ、その気遣いは、京都以外の人には分かりにくく、いけずな人たちと思われるわけです。もちろん、京都人以外を田舎者と見下すプライドの高さも含まれていると思われます。いけず石にも、京都風の理屈があります。

車が家にぶつかれば、お互いに嫌な思いもするし、出費もかさむので、それを気遣っていけず石を置くというわけです。身勝手な防御だけではないと言いたいのでしょう。また、一方では、世間体を気にする京都人という見方もあります。車が家にぶつかると、警察は来るわ、工事も行われるわ、その費用負担でもめるわ、と大騒ぎになります。それは間違いなく、ご近所に、はしたなく大騒ぎした家という評判が立つことになります。京都人は、何よりもそれを嫌がると言われます。客に大声で「早く帰れ」と言うのもはしたない行為です。要するに、京都特有の相手を気遣う婉曲的表現なるものの背景には、はしたないと噂されることを恐れる心情があるとも言えるのでしょう。

いけず石は、明治期から広まった風習だと言われますが、その起源は古く、平安時代には、牛車や荷車の衝突対策として存在していたようです。碁盤の目状の街区では、車が、四つ角の建屋へ衝突する事故は避けがたいリスクです。ただ、交通量の多少が、平安京とバルセロナの対策の違いに現れているのでしょう。いわばガードレールであるいけず石は、平安京の人々の見事な発明だと思います。ただ、それは石である必要があるのか、という疑問もあります。確実に車が壊れる石よりも、警告的に板や杭を建てるだけでも良かったのではないかと思います。このあたり、どうも京都人のいけずさがにじんでいるようにも思います。いけず石に関する最大の発明は、それを互いを気遣う気持ちの現れだと言い切る京都人の理屈だったようにも思います。(写真出典:samuraitax.com)

「新世紀ロマンティクス」