2023年2月25日土曜日

茉莉花茶

茉莉花工芸茶
30年前、中国へ行ったおりのことです。上海では烏龍茶ばかりだったのが、北京では茉莉花茶一色となり、その違いが面白いと思いました。そのことを北京の人に話すと、ジャスミン茶には、喉の渇きを癒やす効果があるので、乾燥している北京では特に好まれる、と言っていました。それもその通りなのでしょうが、実は、ジャスミン茶が北京に根付いている理由は、他にありました。お茶の生産地は、中国南部です。清朝のころ、南部のお茶が北部へも運ばれるようになります。北京と杭州を結ぶ京杭大運河は、7世紀の隋代に完成していますが、その後衰退し、明・清代に再び整備されたと聞きます。お茶も、この京杭大運河を通って華北へ運ばれたのでしょう。

華北では貴重で高価なお茶でしたが、運搬に時間がかかることから、香りも味も劣化し、商品価値が下がったようです。そこで、香りの強いジャスミンの花をお茶に入れて運ぶというアイデアが生まれます。江南のお茶とは、まるで異なる花茶の誕生です。劣化したお茶を誤魔化す手段だったわけですが、これはこれで大人気となり、北京にジャスミン茶の文化が根付くことになります。中国のお茶は、発酵の度合によって、緑茶・白茶・黄茶・青茶・紅茶に分類され、他に微生物発酵させた黒茶があります。例えば、烏龍茶は青茶、普洱茶(プーアール茶)は黒茶になります。ジャスミン茶は、”その他”に分類され、武夷岩茶、西湖龍井、安渓鉄観音といった中国十大銘茶に入ることなど決してない安価なお茶です。

最近は多少変わりましたが、かつて日本の中華料理店では、ジャスミン茶を出すことが定番でした。もちろん、日本の中華料理店が、すべて北京料理の店だったわけではありません。日本の飲食店では、客が来ると、まずはお茶を出すという文化があります。お茶は無料のサービスです。対して、中国では、お茶はお金を出して飲むものです。お茶は無料という日本の文化と折り合いをつけるために、中華料理店では、安価なジャスミン茶を出すことにしたのではないかと思われます。結果、日本で中国茶と言えばジャスミン茶、という時代が長く続きました。それを一変させたのは、日本のあるアイドル・グループでした。1976年にデビューし、一世を風靡したピンク・レディーです。

1979年、ピンク・レディーは、人気番組「夜のヒットスタジオ」で、美容のために痩身効果のある烏龍茶を飲んでいると発言します。瞬く間に烏龍茶の売れ行きが伸び、年間輸入量は2トンから280トンに増加したと言います。その後、一旦収束した烏龍茶ブームでしたが、1981年に、伊藤園が世界初となる缶入りウーロン茶を発売、サントリーもこれに続き、手軽な清涼飲料水としてヒットし、さらに緑茶系も発売されたことから、お茶系飲料が定着することになります。また、ウーロン・ハイも定番化しました。烏龍茶の珍妙な飲み方に、中国の人たちは驚いたことだと思います。ただ、このヒットに伴い、中国茶に対する認識も徐々に広がっていきました。中国茶専門店も増え、飲茶の際にお金を払ってお茶を選ぶようになり、お湯を注ぐと花びらが開く工芸茶がブームになったこともありました。

さんぴん茶は、沖縄の定番飲料ですが、ジャスミン茶の一種です。中国語でジャスミン茶を表わす香片茶(シャンピェンチャ)が、その語源だといわれます。とは言え、北京のジャスミン茶とは、味わいも香りも随分と違います。その違いは、緑茶を使う北京に対して、半発酵茶を使うことなのだそうです。お茶の産地である台湾や福建に近い沖縄ならでは、というところでしょうか。さんぴん茶は、沖縄の風土気候によくマッチしています。やはり、ジャスミン茶には、喉の渇きを癒やすクイック・クエンチ効果があるように思います。(写真出典:item.rakuten.co.jp)

「新世紀ロマンティクス」