2022年6月15日水曜日

「オフィサー・アンド・スパイ」

監督:ロマン・ポランスキー     2019年フランス・ イタリア

☆☆☆+

19世紀末、フランスで起こったドレフュス事件が、後の世に残したものは二つあります。一つはシオニズム運動であり、イスラエル建国へとつながります。ドレフュス事件を取材した新聞記者テオドール・ヘルツルは、根深い反ユダヤ主義に対抗すべく、ユダヤ国家建設を呼びかけました。今一つは、スパイ小説ブームです。ドレフュス事件を機に、世間は、初めて諜報活動なるものを知ることになりました。スパイ小説自体は、19世紀前半から存在していました。ただ、ドレフュス事件に世間の注目が集まったことで、次々とスパイ小説がリリースされ、一つのジャンルを形成するにいたります。

1894年、フランス陸軍省は、ドイツ大使館の廃棄物の中から、情報漏洩が懸念される手紙を発見します。情報が野戦砲に関するもので、かつ筆跡が似ていたことから、司令部唯一のユダヤ人で砲術大尉のアルフレド・ドレフュスが逮捕されます。ドレフュスは無罪を主張しますが、手紙以外の物証もないまま、非公開の軍事裁判で有罪となります。ドレフュスは軍籍を剥奪され、ギニア沖の悪魔島に幽閉されます。その後、陸軍情報局長に就任したジョルジュ・ピカール少佐は、情報漏洩の真犯人と思われる人物を特定するに至ります。しかし、上層部は、ピカールに圧力をかけ、隠蔽を図ります。あくまでも真相究明にこだわるピカールは解任され、左遷され、投獄されます。ここで、一部政治家や文化人がピカールの支援に入ります。率いたのは文豪エミール・ゾラでした。

陸軍上層部は、軍事機密を盾に取り、かつ証拠のねつ造まで行い、ゾラたちを退けます。裁判に敗れたゾラは、英国に亡命し、客死しています。しかし、陸軍の隠蔽工作は、政治家等の発言から綻びを生じ、1906年には、有罪判決の無効が確定しています。復帰したドレフュスは、少佐に昇進、砲兵隊司令官になっています。一方、ピカールは、陸軍大臣まで登り詰め、第一次世界大戦を勝利に導きました。本作は、ドレフュス事件の史実に基づき、御年88歳になるというロマン・ポランスキーが、監督しました。ポランスキーは、確かな腕前を見せ、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲得しています。ポランスキーの円熟された映画文法に加え、ミステリ仕立てにしたこと、そして、ユダヤ人差別ではなく、ピカールの勇気にフォーカスしたことが、この映画の成功につながったと思います。

ポーランド生まれのポランスキーは、デビュー作「水の中のナイフ」で成功を収め、英国で撮った「袋小路」はベルリンで金熊賞を獲得します。その後、ハリウッドの渡ったポランスキーは、「ローズマリーの赤ちゃん」で世界的ヒットを記録します。妻のシャロン・テートが、マンソン・ファミリーに惨殺されると、ポランスキーは憔悴し、かついわれない中傷にさらされ、欧州へ戻ります。その後、ハリウッドで撮った「チャイナタウン」も大成功しますが、少女へのレイプ疑惑で投獄され、結果、アメリカを捨てることになります。フランスに活動拠点を移した後も「テス」、「ナインスゲート」、「戦場のピアニスト」、「ゴーストライター」、「毛皮のヴィーナス」等で高い評価を得てきました。ただ、優れた監督であるという評価とともに、未成年者に対する性的指向は、現在に至るまで批判の対象となっています。

実は、ピカールもドレフュスも、アルザス出身です。フランス東部、ドイツとの国境に接するアルザス地方は、古くから栄え、かつ豊かな鉱物資源があり、フランスとドイツが、その領有を争ってきた地域です。かつて、日本では、小学校の教科書にドーデの「最後の授業」が掲載されていました。普仏戦争に敗れたフランスは、アルザスをドイツに割譲します。フランス語による最後の授業が描かれており、戦争の悲惨、あるいは国語の重要性を伝えたかったのでしょう。しかし、アルザスでは、ドイツ語の方言であるアルザス語が話されており、フランス語は学校で習う言葉でした。アルザスは、フランスからも、ドイツからも特殊な地域とされてきました。ドレフュス事件の中心人物が、二人とも、アルザス出身という点は、実に興味深いと思います。(写真出典:japanimafrance.com)

「新世紀ロマンティクス」