とは言え、日常会話や世間話で、もどかしい思いをしたくないと思い、無料に近いコミュニティ・カレッジの英語のクラスに通ったことがあります。まず最初に、クラス分けのためのペーパー・テストが行われます。私の成績は、トップ・ランクであり、上級クラスに入りました。私が優秀なのではなく、日本の英語教育のレベルが高いという証左です。ただ、日本人の文法や単語力は優れていても、会話力は悲惨なものです。だからここに来ているわけで、それが上級クラスでは意味がないと思いました。クラスでは、イディオム(慣用表現)を中心に勉強しました。30人ばかりの生徒の多くがヒスパニック系であり、日本人は私だけでした。先生が質問すると、皆、適当な英語で、適当なことをベラベラしゃべり始めます。少し間をおいて、私が手を挙げ、正解を答える、というパターンが続きました。
仕事が忙しくなったこともあり、かつ私のニーズにはまったく合っていなかったので、途中で止めました。ただ、クラスメイトたちからは、文法など気にせず、とにかくしゃべることだ、ということだけは学んだように思います。定年退職後に、日本語学校の先生をしている先輩から、語学の指導法には、直説法と間接法という二つのパターンがあると聞きました。直接法とは、日本語だけで授業を進めるとうスタイルです。ただし、教えた日本語だけで授業を進めるという、非常に厳しい制約があり、教授法の習得には時間がかかるようです。一方の間接法は、生徒の母国語を使って日本語の文法や単語を教えるというものです。日本における英語教育は、間接法ということになります。いずれの方法にも、一長一短あるのでしょうが、少なくとも間接法では、しゃべれない生徒が多くなることは間違いありません。
NY在任中に、昭和天皇が崩御されました。仕事仲間のアメリカ人たちはお悔やみを言ってくれました。場合によっては、彼らにとっては摩訶不思議な天皇制に話が及ぶこともありました。残念ながら、うまく説明できませんでした。なぜなら、その当時の私は、天皇制に関して頭の整理が出来ておらず、明確な自分の意見を持っていなかったからです。必要だけど平生は意識しない空気のような存在、と言うのが精一杯でした。単なる印象の話です。聞いた方は、意味不明だったと思います。英会話に関して最も重要なことは、言わなければならないことがあるか、言いたいことがあるか、ということだと思います。語学は、あくまでもコミュニーションの道具です。上手か否かではなく、伝わるかどうかを重視すべきだと思います。そういう意味では、手間暇がかかっても、直接法で学んだ方がいいと思います。
コミュニティ・カレッジでのクラスのことですが、訓練のためにと思い、授業の前後にクラスメートたちと雑談するようにしていました。どこから来たのか、仕事は何か、といった程度の会話です。これもまた、何の訓練にもなりませんでした。なぜなら、私が一言話すと、向こうは何十倍も、何百倍も話してくるからです。国はどこだ、と聞いただけなのに、親族構成のすべてを聞かされることなどザラでした。彼らにとって家族は、大事な存在であり、誇りに思っているということを、小賢しい日本人にも知って欲しかったのでしょう。(写真出典:bcc.edu)