2021年11月4日木曜日

二本差し

”二本差し”とは、太刀と脇差しを腰に帯びていた武士を指します。庶民言葉で、侍の別称、あるいは蔑称として使われました。「二本差しが怖くて、田楽が食えるか」とは、江戸庶民の心意気を示す、いなせな言葉です。田楽は、先が二本に割れた竹串に、味噌を塗った豆腐を刺して焼きます。近年では、ヤマト運輸の小倉昌男が「二本差しが怖くておでんが食えるか」と言っていたことが知られています。おでんは、煮田楽の女性言葉から一般化した言葉です。今の時代、田楽よりはおでんの方が分かりやすいと思いますが、二本差しとの関係は見えにくくなります。

江戸幕府は、将軍家を頂点とする封建制度を維持するために、法令や制度を強化します。そのなかで、幕府は、平時における武士のモラルとモラールの管理にも苦心します。江戸初期の侍は、武勲をあげて出世する、あるいは下剋上といった戦国時代の荒っぽい気風を引きずっていました。それを変えようとしたのが犬公方として知られる5代将軍徳川綱吉だったと言われます。武士は、様々な法令によって生活の隅々まで規制を受ける一方、身分制度の頂点に置かれ、無礼を働いた庶民を切り捨てても罪に問われない、いわゆる切捨御免といった特権も認められます。無礼打ちは、届出と証人も必要であり、幕府が認めた場合に限り許されます。とは言え、庶民にとっては、実に恐ろしい制度だったわけです。

江戸期の長い平安が生んだものの一つが、侍の官僚化です。以降、日本は官僚国家となります。小倉昌男の言う”二本差し”とは、侍ではなく官僚のことです。官僚国家にあって、役所と真っ向から対立することは、極めてリスキーだと言えます。官僚国家の極致は、共産主義独裁国家に見ることができます。中国で、役人に逆らうことは死を意味します。一方、犠牲を払いながらも、社会を一つの方向に向けて機能させる場合などは、官僚の効率性の高さが発揮されます。例えば、中国のコロナ抑え込みなど、いい例だと思います。日本の官僚も、明治の近代化、戦時の挙国一致体制化、戦後復興、高度成長等を、見事に成し遂げてきました。

宅配便をビジネスとして成立させた小倉昌男は、既存のトラック運輸体制を守ろうとする旧運輸省と戦いました。運輸省が守ろうとした体制は、戦後の混乱期から、官僚たちが苦労して築き上げ、機能させてきたものでした。それは国家戦略に基づき計画的に構築されたものではなく、ある意味、法律と実態の微妙な調整を積み重ねた接ぎ木細工でした。小倉昌男の宅急便は、その絶妙なバランスを崩しかねないものでした。運輸省には、対抗できる法律は無く、行政手続きで嫌がらせをするしかありませんでした。普通なら、この段階で、”泣く子と地頭には勝てない”と、身を引くものですが、宅急便が国民のためになると確信する小倉昌男は、行政訴訟を起こし、結果、勝利します。

国のトップが変わろうが、政権が交代しようが、選挙に左右されない官僚体制は、安定的な行政を提供できる一方、その組織維持が至上命題化します。それは、しばしば国や国民の利益を犠牲にしてでも進められます。官僚は、法令に基づき、判断・行動します。準拠法が無い限り、官僚は指一本動かせません。逆に、官僚は、複雑化した法体系に精通し、その知識を駆使して、組織維持を図ります。複雑な法令は、現代における”二本差し”なのかも知れません。(写真出典:ja.wikipedia.org)

「新世紀ロマンティクス」