2021年10月13日水曜日

梁盤秘抄#18 Chronicle

アルバム名:Chronicle, Vol. 1 (1976)                                             アーティスト名:Creedence Clearwater Revival

今風の音楽が流れる若者の車に乗ったクリント・イーストウッドが「本物の音楽をかけろ」と言います。若者は「本物の音楽って?」と聞きます。イーストウッドは、やや間をおいてから「CCR」と答えます。思わず吹き出してしまいました。実は、何の映画だったか思い出せないのですが、やたら印象に残っています。CCR、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルは、1968~1972年という短い活動期間に、数々のヒット曲を生み出した伝説のバンドです。サンフランシスコ出身ながら、南部の匂いが濃い、いわゆるスワンプ・ロックの代名詞的バンドです。クリント・イーストウッドは、アメリカの大衆、特に田舎者を喜ばせることに関しては天才です。”CCR”の一言で、映画館は、”イェー”の掛け声とともに、拍手喝采の大騒ぎになったはずです。アメリカの地方にあって、CCRは、いまだ絶大な人気を誇ります。

”Chronicle”は、解散しても一向に人気が衰えなかった1976年に発売されたベスト・アルバムです。CCRのアルバムとしては、アメリカだけでも600万を超すという最大のセールスを記録しています。CCRは、1959年、ジョン・フォガティと2人の同級生によって結成されたバンドから始まります。そこにジョン・フォガティの兄が加わり、1968年、デイル・ホーキンスの「スージーQ」のカバーでデビューしています。ジョン・フォガティの一度聞いたら忘れないほど力強いヴォーカル、耳に馴染みやすいメロディ、単純なリズム、キレの良いギター等が、大ヒットにつながりました。続いてリリースされたスクリーミン・ジェイ・ホーキンスのカバー「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」もヒットします。R&B色が強いスタートでしたが、それ以降は、カントリー色の強いジョン・フォガティのオリジナル曲が立て続けにヒットしていくことになります。

リリースしたシングルの約半数が、ビルボードのトップ10以内という驚異的なセールスにも関わらず、CCRは、一度たりともビルボード1位を獲得していません。誰もが知っているCCRの大ヒット曲でも2位どまりであり、それが5曲もあります。その都度、強力なライバル曲が存在し、かつ人種構成も影響していたのかも知れません。また、CCRの曲は、瞬間爆発型ではなく、じっくり順位をあげるタイプだったとも言えます。絶大な人気を誇ったヒット・メーカーが、なぜ4年で解散したのかは疑問です。。ヴォーカル、リード・ギター、作詞・作曲を担当するジョン・フォガティばかりが目立ったことで、バンド内に不協和音が生まれ、修復出来なかったと言われています。解散後、ジョン・フォガティは、ソロ活動を始めますが、なかなか思い通りにはいきませんでした。ただ、85年には、アルバムがビルボード1位となり、97年にはグラミー賞も獲得しています。

90年頃。中西部で、地元のアメリカ人と昼飯を食べているとき、店内に「プラウド・メアリー」が流れてきました。CCRは、一番アメリカ的なバンドだよね、と言うと、彼は「皆、この曲でカウボーイ・ダンスを踊るんだ。南部じゃ、アメリカ国家よりもポピュラーだよ」と言っていました。ただの誇張とも思えませんでした。また、私が一番好きなCCRの曲は「雨を見たかい」ですが、人生のなかで、たまに出くわす厳しい現実と天気雨をかけた歌です。ただ、当時、雨とは、ヴェトナム戦争で米軍が多用したナパーム弾の比喩であり、この曲はヴェトナム反戦歌だと受け取られていました。本人達は、これを否定しています。どちらの話もCCR的であり、やはり最もアメリカらしいバンドだったように思います。(写真出典:amazon.co.jp)

「新世紀ロマンティクス」