日本語の曖昧さの象徴として、阿吽(あうん)の呼吸、以心伝心が、よくあげられます。阿吽とは、サンスクリット語の最初の字音である「ア」と最後の字音である「フーム」をさす言葉であり、ものの始まりと終わりを象徴し、特に密教では、原因と結果を意味する言葉とされます。万物の全体を表す言葉と言ってもいいのでしょう。阿吽は、神社仏閣の門に立つ対の仁王像や狛犬でも、よく知られています。ちなみに、五十音も”あ”で始まり、”ん”で終わります。アルファベットも”A”から始まります。何かサンスクリット語との関係があるのかも知れません。ただ、印象的には、人間の発音のメカニズムとの関係なのだろうと思います。
言葉にせずとも、互いの考えていることを共有しているかのごとく行動することを「あうんの呼吸」と言います。非言語的なコミュニケーションの一つだと思いますが、これは、なにも日本独自の文化ということではありません。世界中に、普遍的に存在するコミュ二ケーション形態だと思います。また、すべての日本人が、常に、あうんの呼吸で動いているわけでもありません。むしろ、あうんの呼吸と思っていたら、互いの認識が異なっていた、という場合の方が多いように思います。つまり、互いの思い込みによる見込み違い、というわけです。
島国で、文化と言語を共有する日本社会では、明確かつ完全に言語化せずとも、十分にコミュニケーションが成立する面があります。むしろ、明確化しない方が、良いコミュニケーションや集団の結束を保つ効果もあります。一方、欧州は、ほぼ陸続きゆえ、常に、異なる民族、異なる文化、異なる言語と接触せざるを得ず、より慎重で正確な言語コミュ二ケーションが求められてきました。現代英語は、厳格な語順が特徴ですが、古英語では、日本語同様、語順の自由度が大きかったと聞きます。単語の変化によって文脈を確保していたようです。ノルマン族が、英国へ侵入したことで、異民族間の正確なコミュニケーションが、広く、日常的に求められました、結果、英語は単純化され、厳格な語順へと変化したようです。
外国語の習得という面から見れば、語順がカッチリしていて、単語を並べるだけの英語の方が楽だと思います。日本語は、世界で一番習得が難しい言語とも言われます。そもそも文字が、漢字、ひらがな、カタカナと3つもあり、アクセントやイントネーションが平板で、助詞の使い方も多様です。英語は、ノルマンの侵入によって単純化されたわけですが、日本は、元寇を退け、戦後の占領も限定的だったことで、原型に近い日本語を保ってきました。占領時代が長引き、多くの欧米人が移民していたとすれば、日本語も、随分と変わっていた可能性があります。(写真出典:kotobank.jp)