2021年8月3日火曜日

オリンピアード

コロナ禍のなかでの開催が危ぶまれ、また開催に反対する声もあるなか、無観客で始まった「Tokyo2020」オリンピックは、 日本のメダル・ラッシュもあり、それなりに盛り上がっています。日程の半分が過ぎたところで、印象的なのは、世代交代が進んでいることです。いかに優れた選手でも、敗れる時、引退の時が来るのは宿命です。また、複数回出場する選手たちの存在は偉大ではありますが、次を担う選手たちの育成が十分ではないということでもあります。いずれにしても、大物選手がプレッシャーに敗れ、勢いのある若い選手が躍進するのも、オリンピックらしい光景と言えます。

近代オリンピックは、1896年、フランスのクーベルタン男爵の提唱に基づき始まりました。その元になった古代オリンピックは、記録に残る限り、紀元前776年から紀元393年までの1,169年間に293回開催されています。古代ギリシャのエリス王イピトスが、疫病の蔓延に悩み、デルポイの神託を受けたところ、争いを止め、競技会を復活せよ、と告げられます。イピトスは、エリスのオリンポスで競技会を行いました。古代オリンピックが、疫病退散を祈って始まったことは、実に興味深いと思います。もっとも、人類の歴史は、疫病との戦いの歴史でもありますから、理解しやすい話でもあります。

古代オリンピックに関して、最も興味深いことは、それが約1,200年も続いたことだと思います。塩野七生に言わせれば、古代ギリシャ人が、それを必要としたから、ということになります。4年に一度の古代オリンピックは、数か月間の全面的停戦を伴って開催されていました。競技者は、ギリシャの都市国家のみならず、地中海に広がる植民都市からも集まりました。その往来の安全をはかるための措置でした。同時に、戦いに明け暮れる国々にとって、4年に一度とは言え、停戦は大助かりであり、また戦争の当事者同士が会える外交機会としても、極めて重要だったのでしょう。まさに、彼らは、オリンピックを必要としていたわけです。

今も、オリンピック開催に際しては、国際オリンピック委員会が停戦を呼び掛けています。ただし、残念なことに、実効性はありません。国連と連携し、例えば国際法レベルでの規定化をはかる等の対応があっても良いのではないか、と思います。今回、柔道のモンゴル代表の一人はイランから亡命した選手でした。イラン政府が、イラン柔道連盟に対し、イスラエル選手との対戦を拒むよう指示したため、選手はモンゴルへと亡命したと言います。世界柔道連盟は、これを特例として認めるとともに、イラン柔道連盟を無期限の資格停止処分としています。オリンピックだからこそ、敵対する国同士の選手でも、同じ競技場に立ち、互いをリスペクトして競い合うことがスポーツの良さであり、オリンピック精神だと思います。

古代オリンピックが途切れた理由は明確です。当時、ギリシャはローマ帝国の支配下にありました。ローマがキリスト教を国教化すると、ゼウスに捧げる競技会など、異教として弾圧されたわけです。クーベルタンは、オリンピックの復活にあたり、政治同様、宗教による介入も否定しています。ちなみに、イピトスが受けた神託は、競技会を「復活せよ」としています。古代オリンピックに先立つ競技会が存在したわけです。それはアキレスが始めたとも、ヘラクレスが始めたともされていますが、証跡が見つかっていないので、神話的と判断されています。それにしても、人類は、どれだけスポーツを、競技会を必要としているのか、という話でもあります。(写真出典:olympics.com)

「新世紀ロマンティクス」