2021年8月1日日曜日

ガスパチョ

ペネロペ・クルスが「私のガスパチョに男たちはメロメロよ」と歌いながら、キッチンでガスパチョを作るシーンを覚えています。カラフルなキッチンだったので、間違いなくアルモドバル監督の作品だと思うのですが、どうもタイトルが思い出せません。いずれにしても、ガスパチョ好きとしては、印象的なシーンでした。夏の間、朝食にガスパチョは欠かせません。食欲も、元気も出るような気がします。混ぜるだけなので、自分で作ればいいのですが、野菜類を切るのも面倒で、スペイン産の安いボトルを箱買いしています。

ガスパチョは、アンダルシアの発祥とされますが、もともとはアラブ人が持ち込んだ料理だとする説があります。貧しい人たちが、パン、にんにく、ビネガー、水だけで作っていた料理だったようです。また、古代ローマ軍に由来するという説もあります。兵士たちが、水とビネガーに、塩、ハーブを加え、水筒に入れて携帯していた「ポスカ」が起源とも言われます。ポスカは、古代ローマ軍団のエネルギーを支えていたと言われるほど優れた飲料です。磔刑にされたキリストに飲ませたという話もあります。それが、アンダルシアで、パン、にんにく、オリーブ・オイルが加えられ、ガスパチョになったというわけです。

いずれにしても、暑い地域で、大量の汗を流す兵士や労働者が必要としていた代物だったのでしょう。18世紀になると、トマトがメインとなり、他の野菜も加わることで料理としての位置づけを獲得していきます。何の根拠もありませんが、アンダルシアという土地柄を考えれば、アラブとスペインの文化が融合して生まれた料理の一つがガスパチョだと思いたくなります。スペインには、アラブ文化の影響が多く残ります。フラメンコは、エジプトのラクス・シャルキー由来ですし、米、オリーブ、サフランはアラブが持ち込んだものであり、パエリアはアラブとスペインの文化融合の象徴とも言えます。

「ピレネーの向こうはアフリカである」と言ったのはナポレオンです。スペインが未開の地だと言っているのではなく、永らくアラブ支配下にあったことを指しているのでしょう。8世紀初頭、アラブ勢力は、ジブラルタル海峡を越え、瞬く間にピレネーの南までを支配します。レコンキスタで、キリスト教徒が、アラブ勢を完全に半島から駆逐したのが15世紀末です。概ね8世紀の永きに渡って、イベリア半島は、アラブ支配下にあったわけです。二つの文化が交差すれば、新たな文化が生まれます。新しい文化が持つ勢いが、スペインを世界帝国に押し上げた面もあるのではないでしょうか。

アンダルシアという言葉は、アラブ語の”アル・アンダルス(ヴァンダル人の土地)”に由来し、アンダルシアの至宝アルハンブラ宮殿も、”アル・ハムラー(赤い城)”に由来すると聞きます。アンダルシア起源のガスパチョも、”びしゃびしゃのパン”というアラブ語に由来するという説もあります。ガスパチョは、スペインらしくトマトの味が際立ちますが、これにクミン・パウダーをかけると、二つの文化が交じり合うアンダルシアのエキゾチシズムが立ち上がります。ただし、ごく少量に留めないと、アラブ感が強くなり、レコンキスタ以前に戻ってしまいます。(写真出典:cookpad.com)

「新世紀ロマンティクス」