世界初となる自動車専用道路の建設は、20世紀初頭のNYで行われています。全米を網羅するインターステイト・ハイウェイは、1950年代中期、ドワイト・アイゼンハワー大統領によって計画されます。第二次大戦中、欧州を転戦したアイゼンハワー将軍は、ナチスが作ったアウトバーンに感銘を受け、国防的観点から高速道路網を計画したと言われます。空前絶後と言われた国家予算を投じて作られたハイウェイ網は、当初10年で完成予定でした。しかし、計画が完遂されたのは35年後、費用は11兆円を超えていました。ちなみに、インターステイト・ハイウェイの正式名称は「ドワイト・デーヴィッド・アイゼンハワー全米州間国防高速道路網」です。国土防衛を主たる目的としたハイウェイでしたが、結果的にはアメリカの目覚ましい経済成長の原動力となっていきました。建造目的と波及効果は、まるでローマ街道の現代版です。
アメリカで驚いたことの一つは、アメリカ中、どこへ行っても、同じ商品が売られていることでした。また、メーカーは違えど、規格が統一されている商品の多さにも驚きました。例えば、近所のホームセンターには、窓や階段まで売られていました。規格化社会ならではの光景です。アメリカはメール・オーダー大国でもありました。銃器等も含め、ありとあらゆる物が、カタログに基づき、通信販売で買えました。さらに言えば、アメリカは、どんな田舎に行っても、マクドナルド・ハンバーガーやケンタッキー・フライド・チキンといったフランチャイズ店が、必ずあります。カーネル・サンダースは、ハイウェイに店を潰され、ハイウェイでビッグ・ビジネスを築いたと言えます。大量消費社会アメリカを支えているのが、物流であり、その中心にハイウェイ・システムがあることを、改めて思い知らされました。
ハイウェイとフリーウェイの違いは何か、とNYのアメリカ人に聞くと、通行料がかからないのがフリーウェイで西海岸に多い、と言われました。なるほどと思ったのですが、東部でよくある勘違いだったようです。東部には、フリーウェイと呼ばれる道路が、ほとんど無いので、そのような俗説が広がったのかも知れません。フリーウェイは、通行を制限する信号や踏切のない自動車専用道路を指す言葉で、ハイウェイ、エクスプレス・ウェイ、スルーウェイ、ターンパイク等を包括するとのこと。また、土木的には、近隣の人たちが自由に進入する権利を持たない幹線道路と定義されるようです。アメリカの自動車専用道路で、私が最も好きだったのは、ブロンクス・リヴァー・パークウェイです。パークウェイは、道の周囲や広い中央分離帯が、緑濃く整備された自動車専用道路であり、通常、トラック等は進入できません。緑の中のワインディング・ロードを、そこそこのスピードで運転すれば、実に気分爽快でした。
昔、日本のポップなどバカにしていたので、ちゃんと聞くこともありませんでした。そう言わずに聞いてみろよ、と友人に渡されたアルバムが荒井由実の「14番目の月」(1976)でした。日本のポップにはなかったメロディ、嫌味のない少女趣味的歌詞、実に独特な声、結構、気に入りました。収録曲の一つが「中央フリーウェイ」でした。中央高速道路を中央フリーウェイと言い換えただけで、競馬場やビール工場まで、おしゃれな感じになっていました。オイル・ショック後ですが、日本は確かな豊かさを感じる時代に入っていました。若者の憧れが自動車だった時代にピッタリの曲でした。中央道沿線の人たちにとっては、今でも大事な曲だそうですが、昨今、若者たちは自動車を買わず、それどころか免許さえ持たない時代になりました。えらい変わりようだと思います。(写真:最古のインターステイト95号線 出典:fredericksburg.today)