2021年1月10日日曜日

おいてけ堀


本所の掘割で釣りをしたら、随分、魚が獲れた。日も暮れてきたので、帰ろうとすると、堀から「置いていけ~」と恐ろしい声がする。慌てて家へ逃げ帰り、籠を見てみると空っぽになっていた。ご存知、本所七不思議の一つ「おいてけ堀」です。場所は、今の錦糸町あたりとのこと。当時は、湿地帯が広がり、堀も多かったようです。「置いていけ」と叫んだのは、河童説とタヌキ説があります。錦糸町の人形焼きの名店「山田屋」はタヌキ説。店頭に本所七不思議と掲げ、タヌキの人形焼きが名物となっています。

本所七不思議は、江戸期の都市伝説集です。江戸の爆発的人口増加、そして振袖火事とも呼ばれる明暦の大火(1657年)がきっかけとなり、本所には武家屋敷や住宅が増えていきます。それを加速させたのが、1659年の両国橋の架設です。正式には大橋でしたが、武蔵国と下総国を結ぶことから両国橋と呼ばれるようになったようです。18世紀に入ると、赤穂浪士が本所の吉良邸に討ち入り、隅田堤は桜の名所となり、両国の花火大会や回向院の大相撲も始まり、本所は賑わいを見せていきます。19世紀の墨東は、江戸を支える家内工業、物流拠点としても栄えます。

本所七不思議には、もう一つタヌキが登場します。「狸囃子」あるいは「馬鹿囃子」です。囃子が聞こえ、その方角に進むと消える。また、別な方角から聞こえるので、追うと、また消える。追いかけ続けると、いつしか見知らぬ土地にいた。実は、狸囃子は、本所に限らず、全国に多く存在する話のようです。恐らく、風、あるいは空気の屈折によって、遠くの音が近くまで届いたものと思われます。不思議なことに思えたでしょうね。同様に、「おいてけ堀」も、ナマズ目の川魚ギバチがトゲでたてる大きな音が、正体不明で不気味だったから生まれた都市伝説とも言われます。

舞台となった錦糸町ですが、江戸と下総国を結ぶ街道筋に掘割があることで、物流拠点として栄えていたようです。錦糸町とは、随分きれいな名前ですが、名前の由来となったのは、JR錦糸町駅の北側にあったという錦糸堀です。もともとは岸堀だったものが、なまったとされます。堀に朝日、夕日が映えて、錦糸のようだったことから、錦糸堀と呼ばれるようになったという説もあります。いずれにしても、17世紀には、河童の話もあれば、タヌキも出没する土地柄だったわけです。近年、錦糸町は、こざっぱりとしてきましたが、昔、やや危ない街だった頃には、タヌキのような人が多く歩いていたものです。

都市伝説(Urban Legend)という言葉は、アメリカの民族学者ジャン・ハロルド・ブルンヴァンが、その著書「消えるヒッチハイカー~都市の想像力のアメリカ」(1988)で初めて使ったそうです。要は、真実性が疑わしい話が、本当にあった話として流布される噂話といったところでしょう。古今東西、そのネタには困らないくらい存在するのでしょう。それが書物として残されるケースは稀だと思われます。「本所七不思議」は、印刷技術の進んだ江戸ならでは、あるいは当時世界最大の都市だった江戸ならでは、ということなのでしょう。(一景「本所割下水」(1871)    写真出典:ja.ukiyo-e.org)

「新世紀ロマンティクス」