2025年8月21日木曜日

ラジオ体操

子供の頃、夏休みの朝はラジオ体操で始まりました。近所の公園などに集まって行います。カードが渡され、参加すると、毎朝、スタンプが押されます。夏休み明けに学校へカードを持っていくと、皆勤賞として鉛筆か何かをもらえたように記憶します。気持ち良いとか、爽やかとか、と思ったことはありませんし、好きでもありませんでした。朝、たたき起こされて参加するわけですから、張り切って参加するようなものでもありませんでした。ただ、体操自体が嫌いだったわけではありません。ラジオ体操は、よくできたストレッチ運動であり、体操の授業や部活の始まりでもやっていました。問題は、体操そのものではなく、早朝、集合して体操させられることです。 

自由参加といいながら、半ば強制的、義務的というインチキぶりが嫌いでした。後知恵ではありますが、偽善的、全体主義的な匂いがしたわけです。爽やかさを押しつけてくるラジオ体操の歌も、アナウンサーの声も好きになれませんでした。もっとも、眠いので嫌だったという面は否定できませんし、子供時分から、みんなで明るく的なものが苦手だったこともあります。ラジオ体操は全体主義の道具だと言い切ったのはGHQでした。もっとも、問題にされたのは満州でのラジオ体操の強要でしたが、戦後の一時期、ラジオ体操は中止されます。1980年代末に至り、アメリカの中西部で、そのことを思い出しました。円高が進み、日本メーカーの直接進出が盛んになり、毎週のように、どこかで日本のメーカーの工場がオープンしていた頃のことです。

親会社が米国に出れば、下請会社もついて行かざるを得ません。日本の地方から中西部に進出した自動車部品メーカーを訪問した際、日本人の社長が、アメリカ人も、誠意を持って向き合えば、我々の文化を理解してくれると、感慨深げに語っていました。その工場では、ほぼ完璧に日本式の工場運営を持ち込んだというのです。朝礼を行い、ラジオ体操をして、小集団活動も行っているとのことでした。最初はとまどっていた現地従業員も、今では喜んで参加していると言うのです。日本のものづくり文化は正しかったと言わんばかりの社長さんに、それは単なる勘違いですよ、とは言えませんでした。当時、どん底にあったアメリカの労働市場では、給料を払ってくれれば何でもする、というムードがありました。給料を倍にすると言えば、君が代だって歌ったと思います。

この種の行事では、主催者側と参加者側の意識のギャップは大きくなりがちです。ただ、全体主義的な印象はあるものの、ラジオ体操は軍部が発明したものではありません。1928年(昭和3年)に、逓信省簡易保険局が、昭和天皇即位を祝う事業の一環として始めています。なぜ簡保局かというと、国民の健康増進に関わるからでもありますが、きっかけとなったのが簡保局の監督課長がアメリカ視察の際に見聞したラジオ体操だったからです。世界初のラジオ体操は、1922年、ボストンで放送されています。監督課長が見聞したのは、メトロポリタン生命が提供していた番組だったようです。日本での放送開始から2年後の1930年、神田万世橋署の児童係だった面高叶巡査が呼びかけ、子供たちが集まりラジオ体操をする会がスタートします。諸説ありますが、どうやらこれがラジオ体操会の起源のようです。

それは、太平洋戦争へと続く満州事変が起こる1年前のことでした。ラジオ体操、ラジオ体操会、いずれの起源にも軍部は関与していません。ただ、満州事変以降、戦時体制が強化されていくなかで、全体主義的には重要な役割を果たしたのではないでしょうか。放送開始から100年近く経った今、ラジオ体操会はどうなっているのか調べてみました。近所に限っての話ではありますが、開催している町内会は少なく、開催している町内でも期間は1週間程度に限定しているようです。コロナ禍が転機となったのだと思います。想像するに、参加者は、子供たちよりも、高齢者の方が多いのではないでしょうか。(写真出典:nagasaki-np.co.jp)