2025年1月11日土曜日

「ホールドオーバーズ」

監督: アレクサンダー・ペイン    2023年アメリカ

☆☆☆☆

昨年のアカデミー賞で作品賞を含む5部門にノミネートされ、ダヴァイン・ジョイ・ランドルフが助演女優賞を獲得した作品です。映画館で見る機会を失したのですが、ようやく配信で見ることができました。1970年12月のニューイングランドの寄宿学校を舞台にしたコメディです。ホリディ・シーズンを迎え、学校は、生徒も教員も帰省し閑散となります。様々な事情で学校に残らざるを得なかった生徒、教員、従業員のクリスマスを描いています。”Holdover”とは残留者を意味します。いわゆるクリスマス・コメディですが、この分野はハリウッドの伝統の一つでもあります。それだけに、新味を出すことが難しいとも言えますが、本作は伝統に新たなページを刻んだと言えます。

映画の冒頭で、いきなり頭が混乱しました。どう見ても1970年前後に制作された映画にしか見えなかったからです。カメラはじめテクニカルな工夫、あるいは演出を含め、単に画面上1970年を再現するというよりも、1970年の映画そのものを再現しているように思えました。また、1980年代末、ニューイングランドに隣接する村に住んでいたので、ニューイングランドの冬、とりわけホリディ・シーズンの光景には、懐かしさがこみ上げました。それほど、空気感も時代感も、見事に伝えてくれています。映画のなかのバートン校は架空のものですが、撮影は、マサチューセッツ州に現存するいくつかの寄宿学校を使って行われたようです。また、ボストンのシーンもすべて実際の場所で撮影されています。

皆が、帰省するか旅行に出かけるホリディ・シーズンに残留することは不本意極まりないわけですが、最終的に残った生徒、教員、シェフも個々の事情を抱えています。3人は、残留の経緯ばかりではなく、それぞれが人生の深い哀しみをも抱えていました。たまたま一緒に残留したことによって、3人は哀しみを共有していくことになります。そこで生まれた連帯感は、3人の心根のやさしさも露わにしていきます。そして、最終的には、3人がそれぞれのやり方で哀しみから解放されていきます。この救いこそクリスマス・コメディのクリスマスらしいところであり、クリスマスの奇跡というわけです。実によく煉られた斬新なプロットですが、ハリウッドの伝統をしっかりと継承しているとも言えます。

アレクサンダー・ペイン監督は、とても評価の高い監督です。アカデミー賞候補の常連でもあり、脚本賞は2度も受賞しています。私は、監督の映画を一度も観たことがありません。家族をテーマとしたヒューマン・コメディは、とてもいい映画なのだろうとは思いつつも、うっすら漂う甘さが気になり見ようという気にはなりませんでした。本作で、監督のテイストが理解できたので、何本か観てみようと思いました。主演のポール・ジアマッティは、イェール大学長を父に持ち、自信もイェール卒業というインテリですが、主にバイ・プレーヤーとして、実に多くの映画に出演しています。鼻つまみ教師のいやらしさを見事に演じつつ、内面に抱える哀しみや孤独を嫌みなく表現しています。本作の演技で、アカデミー主演男優賞候補にもなています。

当時の政治や社会環境は、音楽や車と同様、あの時代の背景として描かれているだけであって、映画は政治的でも批判的でもありません。これも興味深い点だと思います。クリスマス・コメディだからと言えばそれまでですが、監督があの時代の空気に対して持っている郷愁のようなものを強く感じます。1970年代のアメリカは、ベトナムでの敗北、ニクソン・ショック、ウォーターゲート事件、景気衰退とスタグフレーション、過度な個人主義と散々な時代に入っていきます。1970年は、まだ古い価値観も残る過渡期だったように思います。そのことが、監督の郷愁につながっているのでしょう。そして、その空気感が見事に描かれている映画だと思います。(写真出典:eiga.com)