日本における元号制定は、中国文化の単なる模倣ではなく、中央集権化の象徴だったわけです。かつて、中国はもとより、その影響下にあった多くの国々も元号を使っていました。ただ、いずれも王政の終焉とともに廃止されています。日本では、武家政権誕生後も天皇制が維持され、薩長による明治政府も天皇を中心とした国家体制を目指しました。元号も天皇制とともに継続されてきました。太平洋戦争に敗れると、天皇は象徴とされ、主権在民の時代が始まります。当然、元号廃止論も唱えられます。最も有名なのが、元号を廃止することが適当とする日本学術会議による1950年の決議だと思います。ただ、天皇制への言及はなく、利便性の高さ、民主義の観点、そして法的根拠がないことを理由とする決議でした。
明治憲法には、天皇が元号を決めるという定めがありました。しかし、明治憲法そのものが、敗戦ととともに廃止されます。その後、しばらく、元号は法的根拠のない慣習として継続されていました。昭和天皇がご存命だったから可能だったとも言えます。1979年に至り、政府が元号を決めるという元号法が制定されています。制定に際しては、当然、元号廃止も議論されましたが、世論としては慣れ親しんでいるからという消極的賛成論が大層を占めました。一方、廃止論も、非効率、他国に存在しないといったレベルの論拠が中心であり、象徴として定着した天皇制の廃止を議論するようなものではありませんでした。つまり、元号については、本質的な議論はなされず、ズルズルと継続されてきたとも言えます。
元号が持っていた本来的意味は、とうのむかしに失われています。そういう意味においては慣例に過ぎないとも言えます。ただ、今日的に言えば、元号は、立憲君主制における象徴としての天皇と同様、国の統一を象徴し、国体を維持するための文化なのだと思います。実務的に言えば、元号法はじめ法令において、元号の使用は、公文書ですら一切強制されていません。無限に連続する西暦に比べ、有限の元号は使い勝手が悪いことは当然です。従って、元号と西暦の併用は現実的な選択だと思います。一方で、元号には、一つの時代を容易に表わすことができるというメリットもあります。それは歴史的継続性も持っています。また、国民に新しい時代の幕開けという刷新感を与える効果も大きいと思います。
元号は、飛鳥時代の大化に始まり、令和に至るまで248代を数えます。それぞれが、その時代の理想や願いを込めて命名されています。明治以降は、一世一元制、つまり天皇一代につき元号を一つとする制度になりましたが、かつては、践祚に限らず、災害や疫病からの復旧・回復を願い、あるいは吉祥、つまり縁起の良いことが起きた際に改元されることもままありました。元号は、人心に与える影響も考慮して決められてきたわけで、日本の社会の変遷が刻まれた歴史そのものとも言えます。ちなみに、元号は、概ね、儒教が重視する四書五経のなかから選定された漢字2文字で表わされます。令和は、万葉集のなかから選ばれた元号です。歴史上、初めて、中国の古典ではなく日本独自の古典から選定されたという誠に意義深い元号です。(写真出典:mainichi.jp)