エイミーの”ヴァレリー”は、あの声で歌われるとやたらはまり、エイミーの短い人生を思うと、泣けてきます。エイミーも思い入れのある楽曲だったようで、”At The BBC”では、テンポを落とし、シンプルなバックで、じっくり歌い上げています。Youtubeには、楽屋で、アコースティック・ギターだけをバックに、さらに哀感たっぷりに歌い上げる映像もあります。16歳から音楽の世界に入ったエイミーにとって、仲間たちとはしゃいだ青春は、とても短く、とても愛おしいものだったのでしょう。幼少期に、離婚して家を出た父への喪失感を埋めるために始めた音楽は、彼女の類稀なる才能を開花させます。ジャズが身近だった家庭に育ち、音楽系の学校に通い、National Youth Jazz Orchestraで歌います。20歳で初リリースした”Frank”は、いきなりヒットし、賞も受けます。自作曲が大半のジャズ、あるいはジャズ・テイストのアルバムとしては、異例中の異例のヒットでした。
エイミーは、ツアーや取材といった多忙な生活に入りましたが、突然、活動を停止、アルバム用の曲作りに専念します。関係者は、ここで、彼女の性向を理解すべきだったと思います。彼女の曲は、すべて実体験に基づいています。彼女にとって、音楽はビジネスではなく、自分を表現する唯一の手段だったのだと思います。彼女にとっては、ツアーも取材も、はじめから余計なことであり、苦痛だったのでしょう。活動休止中、エイミーは、チャラいクラブ経営者のブレイク・フィールズと、嵐のような恋をします。ブレイクは、彼女の喪失感を埋めてきた音楽や親友を超える存在となり、エイミーは、彼と一体化することだけを願います。麻薬とアルコールと女が、ブレイクの全てであり、エイミーは彼の世界へと入っていきます。そして、捨てられたエイミーは、薬とアルコールに救いを求め、崩れていきます。
エイミーを救ったのは、音楽でした。薬と酒を断った彼女は、ブレイクとの失恋や麻薬漬の生活を歌にします。ソウル仕立ての2作目 ”Back to Black”は世界的大ヒットとなり、 グラミー賞も獲得します。エイミーは、トニー・ベネットがビリー・ホリディやエラ・フィッツジェラルドと並ぶとまで絶賛した生粋のジャズ・シンガーです。ただ、若い女性にとって、老成したジャズだけではしんどく、モータウンのガールズ・バンドも指向していました。大失恋して麻薬漬になったエイミーの心情を表現するにはソウルが合っていたのでしょう。一躍、 世界的セレブとなったエイミーは、 父親も含めたビジネスマンとパパラッチとファンに囲まれ、精神を病んでいきます。ブレイクと復縁したエイミーは、また、薬と酒の日々に逆戻りし、ステージにも穴を開け始めます。
2011年7月のある朝、自宅のソファーに倒れているエイミーが発見されます。過度なアルコールが弱った心臓を破裂させていました。享年27歳。いわゆる27クラブです。音楽が彼女を救い、音楽が彼女を殺した、とも言えます。ドキュメンタリー映画「エイミー」は、アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞も獲得した傑作です。作中、トニー・ベネットが、ジャズ歌手は大きな会場で歌いたがらないものだ、と言っています。天才ジャズ・シンガーが、ジャズを歌い続けていたら、とつい思ってしまいます。ちなみに、映画「エイミー」のエンド・ロールで流れるのは、BBCで録音した「ヴァレリー」でした。(写真出典:ja.wikipedia.org)