2020年10月1日木曜日

日本三大名菓

江戸期に言われた日本三大名菓とは、長岡市・越乃雪本舗大和屋の「越乃雪」、金沢市・森八の「長生殿」、松江市・風流堂の「山川」です。いずれも茶席のお干菓子であり、和三盆ともち米から作られます。「山川」に替えて、博多・松屋利右衛門の「鶏卵素麺」が入ることもあります。鶏卵素麺だけは、やや毛色が異なり、ポルトガル発祥。卵と砂糖で作ります。独特の触感と素朴な甘みが特徴です。

他の和三盆系の三銘菓は、 いずれも実に上品な甘さが特徴ですが、その触感は各々異なります。「越乃雪」は、持ち上げる際にも慎重になるほどのホロホロ感。「長生殿」は、やや硬めですが、口の中でサッと溶けます。「山川」は、ふんわりとした触感です。「常在戦場」で知られる質実剛健な長岡藩、言わずと知れた加賀百万石、松平不昧公で有名な文化都市、いずれも武士の心得としての茶道が盛んな土地柄です。

茶は8世紀には中国から伝わっていたようですが、平安期に入ると、発酵した褐色の団子茶が持ち込まれていたようです。茶色の語源です。本格的な喫茶の文化は、臨済宗開祖の栄西が持ち込みます。茶は大茶会の開催などブームの様相を呈したようですが、これに異論を唱えたのがわび茶です。わび茶を完成させたのは、千利休であり、武家社会に広まっていきます。能楽の無常観、茶道のわびさび、いずれも死と隣り合わせの武士の心情に強く訴えたのでしょう。

茶道は、日本の美感を形成していきます。茶室、掛け軸、花、道具、料理、菓子など、実に幅広く日本文化の礎となっています。しかし、茶道が、武家社会の文化、作法に留まっていたら、そうはならなかったものと考えます。安定した江戸の社会で急速に経済力をつけた商人層が茶道を嗜み始めたことで、茶道は、広がりと深さを獲得し、日本文化の基礎と成り得たものと考えます。抹茶や菓子は、日本的ブルジョワジー成熟の証でもあるわけです。

明治の世になると、薩長政権は、中央集権化をねらい、幕藩体制を破壊します。これが市民革命と同じ効果を生みます。江戸期に蓄積された商業資本が殖産興業の担い手として爆発し、近代的な産業資本を生み出していきます。奇跡と言われた日本の急速な近代化は、江戸期にしっかりと準備が整っていたとも言えるわけです。ちなみに、日本三大名菓を創る菓子舗は、いずれも営業を続けています。それは、茶道が日本に広く根付いていることの証左でもあるのでしょう。(越乃雪  写真出典:jalan.net)